ちっちゃな頃からカープファン
広島で生まれたせいか、小さい頃からカープが好きだった。
両親や親せきもみんなカープファン。
小学1年生の時に下関に転校したのだが、まわりの同級生に大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)のファンが多くて驚いた。
当時下関に大洋漁業(今のマルハニチロ)の拠点があったのがその理由だった。
昔も今も野球好きの少年は多い。
転校生の私に「どこの球団のファン?」と聞かれたので、「広島カープ」と答えると、「あー、あの弱いとこ?」って言われたことを覚えている。
長嶋、王がいる巨人は確かに強かったが、大洋もそんなに強くはなかったはずだが。
それでも孤軍奮闘でカーフファンを貫いた。
当時は本当に弱くて、巨人に勝った日はお祭り騒ぎするほどだった。
カープ初優勝に興奮!
カープが初優勝したのは1975年、私が高校2年生の時だった。
その年、赤い帽子にブランドチェンジし、その年から「赤ヘル軍団」と呼ばれるようになった。
ルーツ監督から引き継いだ古葉監督の名采配でカープは勝利を重ねていった。
そして迎えた10月15日後楽園球場での巨人戦デーゲーム。
下関ではテレビ放送がなかったので、授業終了後速攻で家に帰ってラジオを聞いた。
9回裏、巨人最後の攻撃、カープのピッチャーは抑えの金城。
前年の最多勝投手だったがシーズンオフに交通事故にあい、シーズン途中から抑えとして復活したアンダースローだ。
巨人の最後のバッターは柴田。
レフトフライ!
ウィニングボールを取ったのは、レフト水谷。
山本浩二や衣笠みたいな派手さはないが、ここぞという時に頼りになる職人だ。
勝利の瞬間、飛び上がったのを覚えている。
昨年知り合った診断士仲間のふーさんは、後楽園球場でカープ優勝の瞬間を目の前で見たという。
優勝の瞬間、多くのカープファンが喚起のあまり外野のフェンスを乗り越えてグランドになだれ込んだらしいのだが、その中のひとりがふーさんだ。
なんと言ううらやましい話!
兎にも角にも、長年のカープファンの夢がかなった瞬間であった。